茶屋(ちゃや)

 殿様の途中休憩場所としては、規模の大きい茶屋が釿切にあった。ここのお茶は、塩づけされた八重桜だったことから、「桜の茶屋」と呼ばれた。佐々並に向かって道路右側の河村宅が、最初に始めた「下の茶屋」である。道路向かいの小高い所が、御駕籠建場跡である。
 御駕籠建場跡は、道との境を柴垣で区切り、駕籠すえ台2基と仮設便所があった。藩士と足軽の休憩小屋2棟と湯茶所が、柴垣の外に設けられていた。「殿様がお着きになると、ここから湯茶を運んだ。」と河村さんの家に言い伝えられていることから、湯茶所が河村さん宅と思われる。家のそばに桜の切り株が残っていて、大師像があったと思われる祠(ほこら)がある。少し登っていくと、道の右側に立派な石垣に囲まれた畑がある。ここに、「上(かみ)の茶屋」があった。今はその向い側になっている田村宅である。
 旭村内には、このほか数軒の茶屋があった。夏木原の茶屋は、夏になると一の坂との中間にあたる「きんちぢみの清水」に掛茶屋を出し、ところてんを馳走した。そのところてんは、冷たい水で冷やされていて、食べると、きんたまがちぢむということから、「きんちぢみのところてん」と呼ばれ名物となっていた。
 久年焼石の茶屋は「三平まんじゅう」で有名だった。そのほか、板橋に小坂茶屋、お仲茶屋などがあった。


御茶屋跡

御茶屋跡

きんちぢみの水