今では知る人も少なくなったが、昔、江戸時代のころから、土地の若者たちが力くらべをするときには、力石という重い石を抱えあったものだった。力石は重さ20貫から50貫。
1貫はだいたい4キロだから、今の単位で80キロから200キロになる。紫福の文殊堂や上野山八幡宮に残る力石はそれより小さく、50~60キロほどのものだ。
 遠い昔の祭の日――。
 寺の境内や神社に集まった力自慢の若者たちは、顔を真っ赤にそめ、両腕とふんばった足に力をこめて、つぎつぎと力石にむしゃぶりついた。なかでもひときわ重い石になると、なかなか持ち上げる者がいなかった。それまで見物にまわっていた若者が、のっそりと力石の前にあらわれた。この前の祭のときには、最も重い力石をみごと抱え上げた男だ。さすがにこの男はほかの若者たちがもてあました石を、ぐらっと持ち上げてみせた。が、そこで腕にひきつった筋が走った。膝の高さまで持ち上げたところで、男はたまらず石を落としてしまった。「こりゃあいけん。ちいと体をきたえなおさにゃあならん」


 入れ替わって、べつの若者がその力石に挑んだ。ほっそりとした、ごく若い男だ。だが、その若者が腕にぐっと力をこめると、おもいがけずたくましい筋肉が盛り上がった。見物の衆がどよめくなかで、石はその若者の腰の高さまで持ち上げられた。若者はそこで抱え直して、「えいやあっ」と、声もろとも、頭の上に抱え上げた。
 大きくふた息ほどつくあいだ、若者は腕をぶるぶるふるわせながら持ちこたえていたが、ついに力がつきて、どしんと前に投げ出した。しかし、見事にやってのけたのだ。わっという喚声と、たたえる声が見物人の間からわきおこった。「こりゃあいけん。わしも負けちゃあおられんようになった。」さっきの男が腕組みをしてうなった。こうして、若者たちは競い合いながら、体を鍛えていったのだろう。だが、こんな光景を見ることができたのも、昭和の初めころまでだった。新しいスポーツやレクリエーションが広まると、力石は必要とされなくなった。多くの石が埋められたり、捨てられたりして、しだいに忘れ去られていった。今では知っている人が一人だけの石もあるという。いま、力石は「健康管理の石」「健康長寿の石」という名のもとに、先人からの文化遺産として保存されようとしている。


 

絵:なかはら かぜ

作:和木 浩子