萩往還を葉技法面から山口に向かう場合、鹿背坂トンネルの上にある①倅坂駕籠建場跡をすぎたあたりが旧旭村と旧萩市の境界である。
そこから坂道を下って県道に入り、近年整備された休憩所を通り過ぎると、左手に分かれ道がある。倅坂の谷へ下る道だ。参勤交代の際には千人以上もの人々が通行したと言われる萩往還であるが、道幅はおよそ四米、平地はともかく坂道は下るのも決して楽ではない。
道の脇を流れる水音に耳をすまし、木立に囲まれた下り坂をしばらく行くと、先のとがった岩が路傍に露出しているのが見える。これは②烏帽子岩と呼ばれる岩で、道ゆく人の道標として古くから記憶に残されている。この岩で③殉難三士(権現原に碑がある)のうちの2人の首がさらされたと伝えられている。
坂をおりきるとまもなく明木川に行き当たる。しばらくは川岸に沿うように進んでいくと、やがて現在の明木橋の至る。川沿いの萩往還と明木橋の位置は現代によって微妙に変更されており、現在の道はかつてのものとは若干異なっているという。橋を渡って県道に入り、④明木市を通過する。明木市はかつて駅の置かれた集落であったが、明治24年に大火で消失したため、現在の町並みはその後再建されたものである。